『冒険に出よう』

目黒次は『冒険に出よう』。2005年6月に岩波書店から「岩波ジュニア新書」の一冊として刊行されたもので、書き下ろしだね。

椎名1カ月で書いた記憶があるな。

目黒総じて、これまで書いてきたことと話がだぶっているね。たとえば、オーストラリアのラクダはバークが持ち込んだのではないかとか、ヤクーツクの家は夏に傾いているのはなぜかとか、これまで椎名の著作を読んできた人がこの本で初めて知ることはきわめて少ない。

椎名中学生向きに書いてくれという依頼で、これまでオレが書いてきたことのダイジェストのつもりだったから、それは仕方がないよな。

目黒いや、それはいいんだ。そういう事情なんだから。おれがいいたいのは、それでもこの本で初めて知ったことがある。それを言いたかった。

椎名なに?

目黒これにはびっくりしたよ。世田谷から千葉の酒々井(しすい)に五歳のときに引っ越してきた、と書いているんだよ。こんなの初めて聞くぜ。

椎名そうか。

目黒いままではね、六歳のときに三軒茶屋から幕張に引っ越してきた、と一貫して書いているんだよ。まさかその一年前に千葉に引っ越してきたなんて思ってもいなかった。

椎名忘れてたのかなあ。

目黒酒々井(しすい)っていまはモールが出来て有名になったけど、椎名が引っ越してきたころは山の中で何にもなかったと。

椎名あのお嫁さんが欲しいって泣いたのも酒々井だよ。

目黒そうそう。それがここに書いてある。でね、椎名はまだ幼いから学校に行っていなかったけど、「兄や姉は東京の本所にある親戚の家に居候して学校に通い、週末に酒々井の家に来る、という二重生活をしていた」と書いている。こういうこともこの本で初めて知った。これまでまったく書いていなかったよ。

椎名その酒々井にいたときだけど、おじさんがやってきて「狸月夜が出たよ」って言うんだ。

目黒なにその「狸月夜」って?

椎名月がふたつ出ていた、っていうのさ。

目黒一つは狸が化けてたということか。

椎名そうだな。

目黒それは冗談で言ったの? それとも真面目?

椎名どっちなのかなあ。

目黒そのおじさんって、前に椎名のエッセイに出てきた人なのかな? 部屋を作るときに手伝ってくれた居候のおじさんがいたってエッセイがあったよね。

椎名そうそう、そのおじさん。母親の兄弟だな。

目黒家の門のそばにある紅葉の木に登り、近くの川で溺れ、裏庭の竹藪で遊んでいたとこの本の中で椎名は書いているけど、そういう豊かな自然が幼い椎名を取り囲んでいたっていうのはその後の椎名を考えるときに重要だよね。幕張という海辺の町にいく前に、山の中の生活があったんだ。作家デビューしてから三十五年後に初めて言うことじゃないけどね(笑)。どうしてそういうことを忘れるかなあ(笑)。

椎名この本、売れたんだよ。

目黒そういうことは聞いてない(笑)。ええと、あとはないか。最初にパタゴニアに行った1983年の椎名の写真が90ページに載っていて、当たり前の話だけど、すごく若い。椎名が40歳のときの写真。あっ、そうだ。これを質問したかったんだ。

椎名なに?

目黒日中共同楼蘭探検隊の顧問に、早稲田大学の長澤和俊教授がなったとこの本に出てくるんだけど、顧問ということは名前だけ貸して一緒に行かなかったということ? それとも一緒に行ったの?

椎名一緒に行ったよ。

目黒ご高齢だったんじゃないの?

椎名当時は六十歳くらいだよ。すたすた歩いて元気だったよ。

目黒『日本人の冒険と探検』という名著を書いた人だから、おれが読んだのは三十歳ごろなのかな、だから日中共同楼蘭探検隊のころはご高齢だとばかり思っていた。じゃあ、あの名著は若いときに書いたのかなあ。明治期にウラジオストックからベルリンまで冬のシベリアをたった一人で横断した玉井喜作のことを『日本人の冒険と探検』で初めて知って、しばらく調べたことがあるんだ。

椎名おれもいろいろ話したかったけど、朝日のエライ人たちがいつも先生のそばにいて、おれは若僧だったから近くに寄れなかった(笑)。

目黒すねていたんだ(笑)。

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